20年間のボクシングファンであり元プロボクサーによる現在のボクシング界の話です。

ボクシング ~最強のチャンピオン~

ボクシングの階級

ボクシングの階級 スーパーウェルター級 | ウェイト(体重) 身長・意味など

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ボクシングの階級 スーパーウェルター級 | ウェイト(体重) 身長など
スーパーウェルター級のプロボクシングでの契約ウェートは、147~154ポンド (66.678 - 69.853kg)!
平均身長は178~180cm程度。
「ウェルター」とは波やうねりという意味ですが、ここでの意味は混乱という意味で、強豪が多く激戦区という意味。

ウェルター級ミドル級の間の階級となり、全17階級中6番目に重い階級になります。

1962年設置され、昔のプロボクシング界では旧名の「ジュニアミドル級」と呼ばれていました。

アマチュアではライトミドル級と呼ばれ、昔は67-72kgでしたが、シニアでは2002年を以て廃止しており、現在はジュニアのみで66-70kgとなっております。




スーパーウェルター級の初代世界王者はWBA・WBCともにアメリカのデニー・モイヤー。1962年10月にチャンピオンになっています。

この階級で日本人として初めて、世界王座を獲得したのは輪島功一さんで、6度の防衛に成功しています。

その後2度・合計3度スーパーウェルター級のチャンピオンになっています。

そして工藤政志さん・三原正さん・そして暫定チャンピオンとして石田順裕が世界チャンピオンになっています。

この階級での世界王座最多防衛記録はイタリアのジャンフランコ・ロッシでIBFのタイトルを11回防衛しています。

日本の選手の最多防衛記録は、前述した輪島功一さんの6度です。

このかえる跳びという技は、マンガ・はじめの一歩で青木勝がマネしたことから有名になりました。

ちなみに最近青木があみだした「よそみ」も輪島功一さんがやっていたそうです。

2017年4月25日現在の日本チャンピオンは井上岳志で、2017年4月25日にチャンピオンになってまだ防衛戦は行っておりません。

東洋チャンピオンにはタイのラーチャシー・シッサイトーンが2017年4月22日からチャンピオンになり、まだ防衛戦は行っておりません。




ボクシング 亀海善寛VSミゲール・コット | 偉大なチャンピオンとの一戦!

現在のスーパーウェルター級の最も注目されている出来事は亀海善寛とミゲール・コットの一戦でしょう。

ミゲール・コットとは世界タイトルを4階級制したボクシング界のビックネームです。

敗れはしたものの、マニーパッキャオ・フロイド・メイウェザーというトップ選手ともグローブをあわせており、日本人がこれまで対戦した世界チャンピオンの中でも屈指の選手といえるでしょう。

HBOの承認もとれ、世界中が注目する一戦となります。

ボクシング 亀海善寛VSミゲール・コット | 4階級制覇チャンピオンとの一戦

輪島功一 | 敗北にもめげない炎の男

今回はこのスーパーウェルター級のタイトルを3度も獲得した炎の男・輪島功一さんについて書いていきます。

ボクシングマンガのはじめの一歩で青木勝がかえる跳びやよそ見など、変わった技を使いますよね? それはこの輪島功一さんが使っていた技であり、この輪島功一さんをモチーフに使ったと作者の森川ジョージさんも認めています。

それでは、この輪島功一さんが偉大な功績にたどり着くまでのエピソードを振り返ってみます。

輪島 功一(わじま こういち)さんは、1943年4月21日生まれの日本の元プロボクサーです。

元プロボクシング・WBA・WBC世界スーパーウェルター級チャンピオンで、現在はタレントであり、団子屋の経営をしているようです。

本名は輪島 公一さん。生まれは樺太で、北海道士別市で育ちました。

ボクシングでは世界スーパーウェルター級王座を3度も獲得しており(1度目と2度目はWBA・WBC統一王座。3度目はWBAのみ)、不屈の男、"炎の男"のと呼ばれております。

また、"かえる跳び"や”よそ見”等、奇をてらった技で知られる変則・頭脳派の右ボクサーです。

前述のとおり、ボクシング漫画・はじめの一歩でもこれらの技は、ライト級日本ランカー青木勝の必殺技として紹介されています。

ガッツ石松さんや具志堅用高さんと一緒に輪島功一ボクシング界の重鎮としてテレビ共演していることが多いです。

次男は同じくプロボクサーになった輪島大千で、孫(長男の息子)にジャニーズJr.の輪島大生がおります。

輪島功一氏当時土木作業員として働いており、作業現場からの帰り道にあり、頻繁に練習を眺めていた三迫ボクシングジムに入門します。

輪島功一氏は後に語っています。

一所懸命稼いだ金を、酒や博打のような下らないことに使いたくなかった。道場に通えば、疲れてくたくたになるまで思う存分ボクシングに没頭できる。毎日見ていて面白そうだったし、丁度いいじゃないかと思った

ジム通いを続け、半年後にはプロライセンスを取得するまでに腕を上げます。

そしてボクシングを始めて約1年後、1968年6月15日、アマチュアボクシングの経験もないまま、25歳という遅い時期でのデビューを果たします。

その後7連続KO勝ちを収めます。
試合のオファーはかませ犬役として多かったけど、そういった試合でも二つの返事で試合を受けたいたため、試合間隔が3週間弱しかなかった時もあったそうです。

翌年にはウェルター級の全日本新人王を獲得。
その年の9月4日には日本スーパーウェルター級チャンピオンに輝きます。

10月には12戦全勝 (11KO) のというパーフェクトレコードを引っさげて、2階級下の世界王者ペドロ・アディグとノンタイトルマッチで対戦したが1ラウンド早々KOされ、病院に運び込まれるほどの重症を負います。

1971年10月31日、東京・両国の日大講堂で世界タイトルに初挑戦を果たします。

相手はWBA・WBC世界スーパーウェルター級統一チャンピオンのカルメロ・ボッシ(イタリア)。

そのタイトルマッチで披露した、
素早いダッキングで相手の視界から消え、次の瞬間跳ね上がるようにしながらパンチを繰り出す技・「かえる跳び」は後に様々なメディア・漫画でとりだたされます。

その試合は15ラウンドの激闘の末、判定勝ちを収め、日本人発のジュニアミドル級(現在のスーパーウェルター級)の世界チャンピオンに輝きます。

1972年5月7日には初防衛戦を行います。
福岡県の福岡スポーツセンターにて、イタリアのドメニコ・チベリアとの対戦。
開始後1分49秒という驚異的なスピードでKO勝ちを果たします。

その後、トリニダード・トバゴのマット・ドノバンと2度目の防衛戦、野口ボクシングジムの龍反町・地元・北海道でシルバノ・ベルチニ(イタリア)を破ります。

また2度に亘ってミゲル・デ・オリベイラ(ブラジル)から王座を防衛し、世界王座6度の防衛達成。

この記録は日本のスーパーウェルター級世界王座防衛記録として40年経った今でも破られておりません。

1974年6月4日、7度目の防衛戦でアメリカのオスカー・アルバラードと対戦し、最終15ラウンドKO負けを喫し、3年弱保持していたチャンピオンの座を失います。

試合後は病院に直行しそのまま入院するほど輪島選手は大きなダメージを受けます。

医師から引退を勧められるが、退院後すぐにトレーニングを開始!

そして王座陥落から7か月後の1975年1月21日、アルバラードと再戦します。

15ラウンド判定勝ちで7ヶ月前の雪辱を果たし、WBA・WBC王座返り咲きを果たします。

しかしここで、WBC側と輪島陣営のトラブルがあり、輪島功一選手は2ヶ月後の3月22日にWBC王座を剥奪されてしまいます。

同年6月7日、初防衛戦で同級1位の柳済斗と対戦し、7回KO負けを喫しWBA王座からも陥落し無冠となります。

しかし、翌1976年2月17日、柳と再戦し15回ラウンド判定勝ち。2度目の世界王座返り咲きを果たします。

輪島功一選手は敗けた相手と再戦した雪辱というパターンが多いですね。
とても研究熱心な選手と聞いていますので、一度手合わせして、その持ち味の相手の分析で弱点を発見していったようですね。

しかしながら、5月18日に初防衛戦を行い、スペインのホセ・デュランと対戦し、14回KO負けを喫し、三たび世界王座から追われます。

1977年6月7日、3度目の世界王座返り咲きを懸け、当時のWBAチャンピオンのエディ・ガソに挑むが、11ラウンドKO負けを喫し、その試合を最後に引退します。

東京で『輪島功一スポーツジム』を開き、後進の指導をしています。

研究熱心で頭脳派な輪島功一さん。とても人柄が良い人だと聞いています。

指導者の立場になった後も数々の必殺技を編み出しているかもしれませんね。








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