20年間のボクシングファンであり元プロボクサーによる現在のボクシング界の話です。

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竹原慎二 ミドル級を制した最強の男 | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

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竹原慎二 ミドル級を制した最強の男 | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~
ボクシング史上、日本で初めてミドル級を制した男。 広島の粗大ゴミと呼ばれたほどのヤンキーが日本人には不可能と言われていたミドル級のタイトルを獲得!!
引退後はジムの経営・ガチンコファイトクラブへの出演。 ガンにかかり死亡の噂まで立てらるほど苦しい病気との闘い等、波乱万丈な人生!
ボクサー・竹原慎二をご紹介します!

目次

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1995年12月19日。
日本ボクシング界にとって奇跡の一日となります。

「日本人にミドル級で世界を獲るのは無理!!」 この伝統のミドル級という階級は、競技人口も多く、最も層の厚い階級です。

その当時日本人がミドル級のタイトルを獲得するのは月に行くよりも難しいと言われていました。

そんな伝統のミドル級を制した若者がインタビュー中に漏らした言葉が

広島の粗大ゴミが勝てた・・・

広島県安芸で生まれ育った竹原慎二は少年時代から体格に恵まれ、小学生の頃は野球を、中学時代には柔道をしていました。

しかし、「地道な努力が苦手」という少年はその恵まれた体格を喧嘩へ使うようになります。

本院曰く、やった喧嘩は正義感にかられたものだというが、このような中学時代を送った竹原が通う高校はありませんでした。

仕方なく職を転々としながら目的のない毎日を送っていたがあるとき、「このままではいけない」と父三郎氏と同じボクサーの道を志します。

とりあえず地元のジムで練習積み、88年に知人の紹介ということで、あのガチンコファイトクラブの舞台となった沖ジムに入門します。

そこで世界タイトルまで師ち仰ぐ福田洋二トレーナーと出会います。
具志堅用高・渡嘉敷勝男・そして竹原よりも後になりますが世界チャンピオンに輝く飯田覚士を育てたトレーナです。

その福田氏の出す数々の過酷なトレーニングを16歳の竹原少年はこなしていき、ついに17歳でプロデビューを果たします。

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竹原慎二 ミドル級を制した最強の男 | プロデビュー

1989年5月15日にプロデビューを果たし4ラウンドKO勝利。その後年内に4戦こなし4勝(3KO)。

そして翌年全日本新人王の決定戦で西軍代表の徳田 晴久を破り、全日本新人王と輝きます。

ここまでプロデビューから1年足らず、戦績は6戦6勝(5ko)

そして新人王を獲得すると日本ランキング入りが認められるため、日本ミドル級10位にランクインします。

その後も連戦連勝! 
翌年10月28日には当時の日本チャンピオンである西篠 岳人を7ラウンドKOで破り日本チャンピオンとなります。

4度防衛をしておりますが、この4回の防衛戦では寺地永(拳四郎の父)・ビニーマーチンといった後にタイトルを獲得する実力者を退け、日本のミドル級に敵はないということを証明します。

竹原慎二 ミドル級を制した最強の男 | 日本を飛び出し海外へ

竹原慎二 ミドル級を制した最強の男 | 日本を飛び出し海外へ

日本人はミドル級のタイトルを獲得することはできない。。

日本人の体格は小柄で、ミドル級が主となっている欧米の選手と試合をしても力負けしてしまうと言われていたためです。

それともう一つ。
平均的にサイズが小さい日本人はジムに行ってもミドル級の竹原慎二の練習相手となるスパーリングパートナーが不足してしまいます。

これは圧倒的不利な事実です。

これは僕自身目の当たりにしてきたことですが、ある田舎のジムでプロデビューをしたミドル級の4回戦のボクサーがいました。

その選手はジム内にスパーリングができるプロの選手がフェザー級・スーパーバンタム級しかおらず、結局ミドル級の体格の選手とは一度もスパーリングをしたことないままプロデビューすることになりました。

結果は判定負け。

今まで練習ではフェザー級のパンチを沢山綿の入った大きなグローブで、ヘッドギアをつけて受けてのですが、試合では10オンスの小さなグローブで、ヘッドギアなしでうけなければなりません。。

正直彼はとてもセンスのあるボクサーでしたが、明らかに経験不足というのがわかりました。

竹原の場合は日本タイトルも防衛を重ね、またジムが東京にあることから周りのジムと連携してスパーリングパートナーを呼んでくることもできるので、ここまで酷い状況ではなかったとは思いますが、やはりこのミドル級という階級は日本人には圧倒的不利なんです。

そこで竹原陣営は竹原に1か月以上のアメリカ修行を敢行します。

そこで本場のミドル級の選手たちとスパーリングを重ね、93年5月に韓国ミドル級チャンピオンである李・成天と空位の東洋太平洋タイトルを争い、最終ラウンドでKOで仕留めOPBF・東洋太平洋チャンピオンと輝きます。

ここからが日本人のつらいところ。 欧米が主流となっているミドル級タイトルの挑戦はなかなかチャンスが回ってきません。

なんどもお預けをされる中、めげずにこの東洋太平洋のタイトルを竹原はここから6度の防衛を果たします(6勝4KO)。

6度目の防衛戦ではタイトルを獲得した李との再戦。

この試合では激しい乱打戦となり、8ラウンドにはボクシングを長らく見続けてもなかなかお目にかかれない、左の相打ちでのダブルノックダウンという非常に珍しい場面もありました。

そんな激闘も竹原は判定で制し、ついに人生のクライマックスを迎えます。

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竹原慎二VSホルヘ・カストロ | 奇跡のミドル級タイトル獲得!

竹原慎二のこれまでの戦績は24戦24勝(18ko)
日本タイトルを4度防衛後返上。 東洋タイトル6度防衛。

当時23歳の竹原慎二は人生のクライマックスを迎えます。

対戦相手はホルヘ・カストロ。

アルゼンチンからやってきたチャンピオンはアマチュア128戦・プロでなんと104戦98勝(69KO)4敗2分という驚異的な戦績を誇り、ロコモトーラ(機関車)の異名をとる一流のチャンピオンです。

その当時竹原慎二の戦績はわずか23戦。。
チャンピオンは減量苦と囁かれてはいたが、竹原慎二の勝利を信じる者はほとんどおりませんでした。

会場は小さな後楽園ホールを使い、テレビ中継もそれまでずっと竹原を支援していたTBSではなく、テレビ東京が関東ローカルで深夜に録画放映という粗末な扱い。。

竹原の世界戦が決まったときは実家の親御さんにまでわざわざ嫌味を言いに来る人がいたほど当時の日本ボクシング界の常識では「日本人がミドル級のタイトルを獲るのは不可能なこと」でした。

誰も竹原慎二の勝利を信じる者がいない状況の中奇跡を起こします。

試合が動いたのは3回。
竹原の左ボディでこれまでダウン経験のないチャンピオンからダウンを奪います。

しかもかなり効いている様子。。。

これまでダウン経験のない百戦錬磨のチャンピオンからダウンを奪い、その後も一進一退の攻防を続け、試合は終了。

判定は3-0で竹原の勝利。  日本ボクシング史上初めての日本ミドル級の王座を獲得した瞬間です。

竹原慎二VSウィリアム・ジョッピー | WBA世界ミドル級タイトル初防衛戦

初防衛戦は1996年6月24日。

タイトル奪取の時の後楽園ホールのような小さな会場ではなく、場所は横浜アリーナでランキング1位ウィリアム・ジョッピーを迎え討ちます。

テレビ中継もテレビ東京がゴールデンタイムに全国ネットで生中継。

この興行ではジョッピーと契約する世界的プロモータードン・キングも会場を訪れたというまさに世界的な注目が集まる一戦。

しかし試合は初回から竹原の力み過ぎ、挑戦者の右をまともに浴び手をキャンバスに付くダウンを喫します。

その後もスピードの勝るジョッピーに終始ペースを握られ、迎えた9回、挑戦者が連打で王者をコーナーに追い詰めたところでレフェリーにTKO負けを宣告されます。

わずか6か月で世界王座から陥落します。

試合後、一時は再起に向け練習を再開するも、その後これまでの激闘が祟ったのか、網膜剥離が判明します。

現在2017年5月10日。 この日まで未だ日本にミドル級のタイトルを獲得した選手はおりません。

5月20日、48年ぶりにオリンピックの金メダルを獲得したゴールデンボーイ、村田諒太がその伝統のミドル級のタイトルに挑みます

層が厚く最難関と言われる階級・ミドル級で世界を獲得することができるのか、、そしてもしタイトル奪取に成功したとしてもこの竹原慎二が成しえた大偉業は何ら色褪せることのない素晴らしい記録だと思います。

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