20年間のボクシングファンであり元プロボクサーによる現在のボクシング界の話です。

ボクシング ~最強のチャンピオン~

ボクシング界最強の世界チャンピオン達~チャンピオン名鑑~

畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

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畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~
ボクシングの生涯戦績:29戦24勝(19KO)2敗3分
現在は竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネスジムのマネージャー。 
プロボクサー時代は類いまれなボクシングセンスとパンチ力を武器にKOを量産し世界2階級制覇を達成!
畑山隆則VS坂本博之やコウジ有沢・リック吉村との数々の名勝負を繰り広げる!
畑山隆則についてご紹介!

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目次

畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | チャンピオンを夢見たきっかけ

畑山隆則。
幼少時代から運動神経に恵まれ、中学時代は野球部に所属しエースで4番だったそうです。

将来はプロボクサーではなく、プロ野球選手になることを熱望していたそうです。
一方ケンカもメチャクチャ強くて、ケンカ番長としても鳴らしていたそうです。

畑山は野球の実力でスポーツ推薦という形で名門青森山田高校に入学するも、先輩部員と対立し、1か月で退部してしまったそうです。

そんな時、テレビで観た光景。。

辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級タイトルを獲得した試合をテレビで観戦しました。

辰吉も自分と同じ不良出身のボクサー。。
元々腕力に自身があった畑山は、これを機にプロボクサーになることを決意します!

ケンカには自信あったし、野球もやめて団体競技に限界を感じたから、俺もボクシングで世界チャンピオンになれるって根拠のない自信があった

と後に語ります。

高校を中退し、単身上京し、プロボクサーへの道を歩み始めます。

畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | プロボクサーを目指し東京へ

東京へ行くとジム選び。
はじめはボクシング界の最大手、名門・ヨネクラジムに入門します。

しかしこの名門ジムには現役世界チャンピオンの川島郭志をはじめ、世界ランカー等沢山のプロボクサーを抱えるこのジムで練習していてもなかなか自分は目立てない。。

俺は才能がある。しかし見てもらえなきゃ意味がない

と、ジムの移籍を決意します。

京浜川崎ジムを訪ねた畑山はそこで運命の出会いを果たします。

韓国出身の名トレーナー。柳和龍トレーナーでした。

ジムで畑山の練習をみた柳トレーナーは練習後畑山を呼び出しました。

柳和龍トレーナー
お前、なんでボクシングやってる??
畑山
世界チャンピオンになるためです。
柳和龍トレーナー
お前、俺とボクシングやるか?
畑山
やります!

このやりとりこそが畑山を後の世界王者に導く柳和龍トレーナーの運命的な出会いでした。

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畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | 新人王獲得

畑山のデビュー戦は突然東日本新人王の1回戦だったそうです。

現在は新人王戦のエントリーの条件として「プロで1勝を挙げること」ということが明記されていますが、当時はなかったみたいですね。

畑山は、「これで全勝で引退する夢はやぶれた・・・」と思ったそうですが、彼なんと6戦6勝(4KO)で東日本新人王を獲得。
そして7戦目には3ラウンドKOで全日本新人王を獲得するという快挙を成し遂げます。

この1993年度の新人王トーナメントはこの畑山隆則の為にあったといっていいほど畑山の力は抜きんでていました。

東日本新人王戦・全日本新人王決定戦、どちらもMVPを獲得し、圧倒的な力を世に知らしめます!

その後8戦全勝全KOで瞬く間にランキングを駆け上がり、ついにタイトルマッチを迎えます。

畑山隆則 現在でも語り継がれる坂本博之との死闘! | 東洋太平洋タイトル獲得!!

1996年3月、15戦15勝(13KO)という全勝のまま迎えた16戦目。 ついに畑山は初のタイトルマッチをむかえます。
対戦相手は崔重七(チェ・ジョンチル) 東洋太平洋スーパーフェザー級のタイトルをかけての試合となります。

しかしこの試合も畑山は周囲の期待通り2ラウンドにTKOで下し、無事タイトルを獲得します。

これで畑山の連続KO記録は11となります。

向かうところ敵なしの畑山。

1996年11月には、所属していた京浜川崎ジムの会長が不祥事を起こして逮捕されるというハプニングがあり、柳トレーナーとともに横浜光ジムへと移籍をします。

結局この全勝のまま手に入れた東洋太平洋タイトルは3度防衛し自ら返上。
ついに世界タイトル挑戦への準備に入ります。

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畑山隆則VS崔龍洙(チェヨンス) | 日本ボクシング界の切り札

1997年10月5日。
当時日本ボクシング界は世界チャンピオン不在の上、14連続世界挑戦失敗という冬の時代を迎えていました。

この絶望的な状況を変える切り札として畑山隆則が王座獲得のために世界の舞台へ立ちます。

畑山の当時の戦績は20戦20勝(16KO)
それまでの彼の圧倒的な試合振り、その自信と勢いに誰もがこのボクシングの冬の時代に終止符を打つのは彼だと信じて疑いませんでした。

試合は序盤1ラウンド目から畑山が勢いに乗りチャンピオンを攻め立てます。

次々と繰り出される切れと勢いのある攻撃に圧倒させるチャンピオンに、新チャンピオン誕生を感じさせられましたが、後半になり崔龍洙が徐々に勢い付きはじめ、それに加え前半飛ばし続けた畑山が後半失速し始めます。

最終ラウンドのゴングが鳴り、3人のジャッジの採点は、、
116-114 崔龍洙 114-116 畑山 114-114 引き分け

三者三様の判定で引き分けとなり、王座奪取に失敗してしまいます。

スタミナが切れた後半に前半押しまくって蓄えたポイントの貯金を使い果たし痛恨のドロー、チャンピオンの王座防衛となります。

畑山隆則初の挫折。 
全勝のパーフェクトレコードについに1つの引き分けがついてしまいます。


畑山隆則VSコウジ有沢 | 史上最大の日本タイトルマッチ

当時のスーパーフェザー級には畑山以外にもう一人スター選手がいました。
コウジ有沢。。

当時の日本スーパーフェザー級チャンピオンであり、そのタイトルを5度の防衛に成功していて、そのいずれもKO勝ち。
そして12連続KO勝利中というハードパンチャーでした。

当時のコウジ有沢の戦績は18戦18勝(15KO)というパーフェクトレコードを誇っていました。

当時の畑山の戦績は21戦20勝(16KO)1分。
そんな両者が激突します。

この試合はファイトマネーも規格外でした。

通常日本タイトルマッチの相場は1試合100万円ちょっとくらいです。

しかしこの試合では両者に500万円のファイトマネーが約束され、さらに勝者にはもう500万円と高級車が贈られるという破格の条件で、この条件についても話題となりました。
戦前の予想は7-3で畑山有利といわれていましたが、コウジ有沢のパンチ力に期待を寄せる声も多数ありました。

試合は序盤から激しいパンチの応酬。

お互いのKO率が示すとおり、ハードパンチャー同士の迫力のある打ち合いが展開されますが、やはり世界を経験した畑山が一枚上手。

9ラウンドに強烈なボディで明らかに効かせ、そこから左右の怒涛の追撃でTKO勝ちとなります。

そしてこの勝利を手土産に崔龍洙との世界再挑戦に挑むことになります。

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畑山隆則VS崔龍洙 | 再戦・念願の世界タイトル奪取!!

1998年9月5日。
畑山隆則は当時12連続KO勝ち中のコウジ有沢という最難関の難敵を破り、改めて日本スーパーフェザー級最強を証明し、11か月ぶりに自らの戦績に引き分けを付けた崔龍洙と世界タイトルを懸けて試合に挑みます。

この試合も前戦と同じく、序盤から激しい打ち合いとなり、スピードのある畑山が飛び込み際の左フックから素早い連打につなげます。

しかし崔龍洙も決してペースを譲らず細かい連打を返し一進一退の攻防を繰り広げられ、12ラウンドフルの死闘が繰り広げられます。

前回終盤のラウンドを崔龍洙に奪われタイトル奪取に至らなかった畑山は前回の失敗を犯すことなく最終回までペースを落とさず、
見事念願の世界タイトルを獲得します

畑山はリングで大号泣。

僕のために先生はずっと苦労してくれた。
ほかの人にも感謝したいけど、やはり先生と一緒に世界を取りたかった。

と柳トレーナーに縋りつくように泣きました。

寝食を共にし、実の親子以上の深い絆を築いてきた畑山と柳の念願の世界タイトルベルトの奪取劇でした。

畑山隆則vsソウル・デュラン | 波乱の初防衛戦!

念願の世界タイトル奪取から約5か月後の99年2月13日。

畑山隆則は初防衛戦に臨みます。

対戦相手はソウル・デュラン。
当時WBA世界スーパーフェザー級14位にランクされている選手です。

計7度も防衛した崔龍洙と二度の死闘を繰り広げ、1度は分の良い引き分け。
そしてもう一度は判定で勝利をおさめた畑山が初防衛戦で苦戦を強いられてしまいます。

1ラウンド目は両者ともジャブの応酬を繰り広げ、畑山も得意のフットワークから飛び込みざまのパンチをヒットさせ調子もよさそうでした。

しかし2ラウンド目。
チャンピオン畑山はデュランの繰り出したモーションのない見事なタイミングで出された左ストレートが直撃し、後方に突き飛ばされるようなダウンを喫してしまいます。

けっしてダメージを引きずるようなパンチではないものの、ランキング通りの楽な相手ではないことが再認識されます。

その後もこの試合はお互い決めたのない一進一退の戦いとなり、試合が終わると1-0という判定でなんとかベルトを守るという、畑山にとっては苦しい試合となります。

よくボクシングの格言で
ベルトは獲るよりも守るほうが難しい。

初めて守るものができた時のプレッシャーは凄まじく、実力の半分も出すことはできない

といわれますがこの試合はまさにその格言通りの、畑山の実力が100%出し切れない、不本意な内容だったのではないでしょうか。

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畑山隆則VSラクバ・シン | 衝撃的KO 無敗の畑山がリングに沈む

波乱の初防衛から4か月後、畑山は2度目の防衛戦に臨みます。

対戦相手はラクバ・シン・
かつて20ラウンズほどスパーリングをしたことがある相手を2度目の防衛戦の相手に迎え、

デュラン戦の名誉を挽回するスカッとした試合がしたい

と畑山は2度目の防衛に挑みます。

試合は序盤から挑戦者が突進してきて畑山がいなすような形で始まります。

左ジャブから右ストレートを打つがガードに阻まれ、様子がおかしい。

迎えた5ラウンド目。

開始後1分8秒が過ぎようとしたところ、挑戦者の強烈なワンツーをまともに浴びて畑山は崩れ落ちます。

なんとか立ち上がった畑山でしたが明らかに足元はふらつきダメージは濃厚。
虚ろな目をしており、なんとかファイティングポーズをとり試合は続行されましたが、レフェリーの合図とともに挑戦者はニュートラルコーナーから畑山の元に駆け寄り凄まじいラッシュ!

はじめは打たれながらもなんとか打ち返していた畑山でしたが次第に一方的に連打を浴びるような形となりレフェリーによりTKOが宣言されます。

僕はリアルタイムでこの試合をテレビで見ていましたが、あまりにも衝撃的なKOで固まってしまったのを覚えています。
そして今見返すと、あれほど凄まじい連打を無防備な状態で打たれ続けているのに、レフェリーの遅すぎるストップと陣営からもタオルの投入がなかったことに、怒りを覚えるような場面でした。

まだ24歳と若く、再起を望む声も多かったけど、畑山は戦前から

負けたら引退する

と口にしておりその言葉通り、たった1度の敗北で引退してしまいました。

ラクバ・シンとの2度目の防衛戦に敗れ、畑山は以前からの言葉通り引退してしまいました。

引退後はしばらく、次は何をやろうか考えていたんですが、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないので、世話になっていたジムでトレーナーをやることになりました。しばらくは後輩を指導しながら先のことを考えよう、と

ところがそんな畑山にジムの社長が一言。

おまえと坂本博之の試合が見たいなあ

この社長は畑山の復帰には反対していたそうですが、この言葉に、

坂本選手とやれるならカムバックしますよ

と答えたそうです。

坂本博之 | 平成のKOキング

坂本博之 | 平成のKOキング

坂本博之は当時"平成のKOキング"と呼ばれていた強打のボクサーです。
試合が始まると全身し、パワフルな左右のフックを武器にこれまでKOを量産してきていました。

3度の世界挑戦には失敗したものの、孤児院出身の生い立ちなどドラマ性があり、カリスマ的人気を誇っていました。

ただ、坂本博之は畑山のスーパーフェザー級ではなく、ライト級の選手で、対戦は望まれてはいたものの、これまでは実現には至りませんでした。

しかし、階級が違うとはいえボクシングの階級は細かく細分化されています。

実際このスーパーフェザー級とライト級のリミットの差は1.5kg足らずでなのでやれないことはありません。

そこで畑山は復帰戦でなんといきなり世界戦。
前戦で坂本博之が挑み、2度のダウンを奪いながらも目の上をカットし、その傷でドクターストップという惜敗した当時の世界ライト級チャンピオンである、ヒルベルト・セラノに挑むことになりました。

畑山は周囲の期待通り8ラウンドでその技巧派チャンピオンを下し、リング上から

次は坂本選手とやります

と宣言しました。

以前から言われ続けていた夢のカード
畑山隆則VS坂本博之。

それが実現しファンからは大歓声が上がります。

坂本選手とはスパーリングで手合わせしたこともあり、ものすごくパワーのある選手だと認識していました。実際、背筋力なんてプロレスラー並みの数値を叩き出すらしいし、たぶん、ボクシングよりもストリートファイトで強いタイプでしょう。男として、ぜひ一度戦ってみたい相手でした

この試合に関しては、ファイトマネーやベルトなんてどうでもよかった。彼となら、きっと燃える試合ができるだろうと感じていました

と畑山は後に語ります。

こうして2000年10月11日、伝説的名勝負。畑山隆則VS坂本博之は実現に至りました。

現在のトップボクサーの中にはこの試合を見てボクサーになることを決めたという選手も多く、日本ボクシング史上最大の盛り上がりと、迫力のある試合となります。

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畑山隆則vs坂本博之 | 魂と魂の激突! ボクサー畑山隆則の集大成

2000年10月11日についにこのファン待望のカードが実現に至りました。

事前の予想ではスピードの畑山とパワーの坂本。
坂本の愚直な前進を畑山はどのように足を使って翻弄するか。。

スピードの畑山を坂本がとらえきれなかった場合は判定・もしくは後半でのKOで畑山の勝利。
そして畑山が坂本の全身をかわしきれなかったら坂本の勢いにのみこまれ坂本のKO勝ち。。

しかし、ラウンドのゴングがなると、坂本がパンチを振るっても下がらず、それを受けて立ちます。

バックステップをするどころか逆に踏み込み強烈な右ストレートを叩き込んできました。

この試合に備えて坂本は世界的名トレーナー・イスマエル・サラスをトレーナーとして迎え、そのサラスの指導の下、左手をより攻撃しやすい位置・下げて構えるように指導を受けていました。

そのため坂本の左側頭部に畑山の強烈なパンチが何度も直撃し、それが少しずつ蓄積していきます。

また、坂本はヒルベルト・セラノ戦でのTKO負けとなった目尻をこの試合でも1ラウンド目からカットし、暗雲が立ち込めます。

それでもこの畑山が打って出るというスタイルは坂本にとっては本来歓迎しなければならない状況。

なぜなら、畑山が本当に勝ちにきて、足を使われたらより不利になることは間違いないのだから。。

坂本は自身の打たれ強さに自信をもっていて、畑山が何発撃ち込んでこようが、「肉を切らせて骨を断つ」の気迫で臨んだのでしょうが、畑山のパンチは決して軽くなく、また、ペースを握られると疲れも倍増します。

この打たれても打ち返すという、より攻撃主体の左手を下げたデトロイトスタイルは完全に作戦失敗だったといえるでしょう。

ラウンドを重ねるごとに力の差が明確となり、7ラウンド以降には坂本の振るうパンチに力がなくなっていました。

8ラウンド時点で試合はすでに決まりました。
9回にはラウンド終了後、意識朦朧としている坂本の胸に畑山は軽く拳を当てます。

まるで、「大丈夫か!?」と語りかけるように。。

そしてKOラウンドとなった10回。開始早々に放った畑山の左フックと右ストレートのワンツーをまともに浴びた坂本はよろめき腰からリングに沈みます。

そこで陣営からタオルが投げ込まれ試合終了。

最後に立っている男が一番強い男、そして、俺は絶対に倒れない

と語っていた坂本博之が、マットに沈んだ瞬間でした。

ノックアウトタイムは10ラウンド18秒。

世紀の日本人対決に決着がつきました。

インタビューでは

(史上まれにみる壮絶な試合でしたね。)

坂本さんが頑張ってくれたのでこのような結果試合ができました。

途中で何回もヤバいパンチがあった。

けど、根性だけは負けたくないとおもった。

もう二度とやりたくないです。

(1ラウンドから打ち合っていた狙いは?)

打ち合いで僕は力を発揮するタイプなので

坂本選手であろうと。。 パンチが強くて怖かったですけど怖がっていてもなにもできないので勇気をもって打ち合いました。

(打っても打っても倒れない相手でしたね)

世界レベルの打たれ強さと世界レベルの精神力を持った選手で本当にすごい選手でした。

(フィニッシュのパンチの感触は?)

すごくありました。

(これで夢の日本人対決を制しました。2階級制覇のベルトも守りました。 次の夢は何ですか?)

ありませんね。
これが最後のつもりで頑張ってきたので。。
考えていきます。

(集まった大観衆は畑山選手が次に打ち上げる花火を期待してますよ!)

こんな沢山の人たちが平日にもかかわらず集まってくれて、本当に感謝しています。

また面白い試合を見せますので、またやるときはぜひ見に来てください。

この試合が終わった後、畑山は陣営に

辞めるよもう・・・  やりたくないよ・・・

と本音を漏らしていたそうです。

坂本博之との一戦の為に現役復帰を決めた男は坂本博之との一戦が終わり、モチベーションを保つことができなくなっていたのかもしれません。

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畑山隆則VSリック吉村 | 日本タイトル防衛記録を持つスーパーテクニシャン!

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坂本博之との死闘から約4か月後の2001年2月17日・場所は両国国技館。
畑山隆則はリック吉村を挑戦者に迎え2度目の防衛戦に臨みます。

リック吉村。。
「全階級を通じて」日本タイトルの防衛記録を持った選手です。 通算22度。。

この記録はおそらくもう破られることはないのではないでしょうか。

なぜなら、ボクシング界の常識とすれば日本タイトルは5度も防衛すれば世界タイトルへの挑戦など、より上を目指そうとします。

なぜリックがそれをしなかったのか。。

それは彼が外国人だったから・そして地方のジムだったからという以外の理由はないでしょう。

まず世界タイトルマッチを組むにはとてもお金がかかるということ。 そしてもしタイトル奪取に成功したとしても外国籍のリック吉村では日本でタイトルマッチを行っても集客の見込みがありません。 有力なスポンサーもつきません。

なので、試合を行う上でリスクの少ない日本タイトルを防衛し続けて、その総数が22回に達するまで世界挑戦ができませんでした。

プロボクシングがビジネスである以上、仕方ないことではありますが、とても悲しい背景がそこにはありました。

しかしようやくまわってきたこの最大のチャンス。
絶対にものにしなければならない。  
そして試合はそんなリックの想いのこもった、最高のパフォーマンスを披露してくれました。

試合は畑山が低い体勢から前進してボディや左右フックを叩きつけ、
リックがアウトボクシングしながら左を突いていくというのが基本の流れとなります。

リックの左のジャブ、アッパー等、序盤から次々に入ります。
畑山は肩越しの右オーバーハンド等を決める場面もありましたが、リックも素早いアウトボクシングに
左フックや打ちおろす右ストレートで攻勢を印象付ける場面もあり、一進一退の展開です。

中盤になるとリックがさらに調子づいて、長い距離からの左から右へつなげていくコンビネーションは絶品でした。

7ラウンドには見事な右アッパーが決まり畑山も効いていたようです。


しかし、後半になるとクリンチが増えてきます。
やはりスタミナが尽きてきたのか。。

9ラウンドには遂にホールディングで減点。

結果的にこの減点が勝負の分かれ目となってしまいます。

後半は畑山が優勢に試合を進め、前半の失点を取り戻すイメージ。

しかし僕の中ではリックが3ポイントほど勝ったかのように見えました。

公式採点では116-111で畑山と115-112でリック、
114-114が一人いたので3者3様で引き分けでした。

9ラウンドの減点が無ければリックは念願のタイトル奪取でしたね。

判定に関しては「疑惑」との声も多少ありましたが、、まぁ、許容範囲ではないでしょうか。

畑山も試合内容に納得ができなかったようで、試合後の勝利者インタビューは、「すみませんでした。以上!」の一言で終わりました。

引き分けとはいえ畑山の防衛という結果で勝負に勝ったのは畑山。

タイトル防衛には至りませんでしたが、リック吉村は高々と手をあげ、控室に戻ろうとするときには、リックコールが巻き起こり、
お客さんから「勝ったのはお前だ!」と言われているかのような光景でした。

決して出来のよい試合ではありませんでした。

やはり坂本戦を最後に畑山の気持ちは切れていたのかもしれません。

この試合のあと、畑山は「あと2戦で引退する」と口にします。

畑山隆則vsジュリアン・ロルシー | ボクサー畑山のラストマッチ

2001年7月1日。 畑山隆則のwbaライト級タイトルの3度目の防衛戦が行われました。

対戦相手はジュリアン・ロルシー。 元wbaの世界チャンピオンで現WBAライト級1位の最強の挑戦者です。

この試合の前に畑山は言っていました。

何回も防衛をしたら金も入るし、、でもあまり欲はないんです。

最終的には冷めたところで自分を見てるんです。

自分はスーパーチャンピオンになれる器ではないということもわかっています。

畑山のモチベーションはもう冷めきっていました。

しかしこの試合で畑山はまさに挑戦者らしく果敢に前に出て勝負に挑みました。

前進を続け、観客を沸かせたあの姿はまさにプロボクサーの仕事をまっとうした男の姿でした。

1R 足を止めてワンツーを当てに行くチャンピオン畑山だが挑戦者も左アッパーで応戦。1R終了間際、畑山がロルシーをロープにつめて右ストレートを叩き込みます。

2R ロルシーが頭を下げて前進してくるので畑山はアッパーで対抗する。。ロルシーの左ジャブがよく当たるラウンド。
。2R終了間際も畑山がラッシュをかけるが挑戦者はしっかりしているブロックしている。

3R 接近戦でのパンチの応酬に畑山は少し打ち負けた感じがあった。

畑山は足を使わず接近戦でロルシーに向かっていく。このラウンドは何度もロルシーのパンチが当たり畑山がバランスを崩す場面も。

この3R終了間際も畑山がラッシュでプレッシャーをかける。畑山はこのラウンドで左まぶたを負傷して出血。

4R 畑山が前進し、ロルシーが後退する。
途中、ロルシーが3つのストレートを畑山の顔面にヒットするひるまず前に出る畑山。しかし、ロルシーのガードはかたい。

5R このラウンドも畑山は前進し挑戦者を追い続けるがとらえきれない。

6R このラウンドも畑山はロルシーをロープに詰めるが、ロルシーは巧みにさばく。

7R また、畑山は前進し、ラウンド終了間際にはロープに詰めるが結局とらえきれない。

8R このラウンド、畑山のパンチがヒットする場面もあるが、ダメージを与えるようなパンチはなかったように見えました。

9R 後半になり、疲れもたまっているはずなのに決して休まずにお互い力のあるパンチをふるうが決定的なパンチはなかった。

10R このラウンドはロルシーがクリンチする場面が見られます。

後半になってスタミナの問題が出てきたのかと思ったが、その後はしっかりと連打も出ていました。

11R このラウンドはロルシーがフットワークを上手に使っていた印象があります。
畑山もそれを詰めようと前に出るけどなかなかとらえきれない。

12R これまでのラウンドでポイントをとられていたことがわかっていたのか試合をひっくり返すために前に出る畑山だったが、逆転KOには至らず試合終了。

判定は118-111、117-112、119-111と大差に出たが、数字ほどの差はなかったと思います。

しかし、挑戦者のロルシーが全体的に試合流れを掌握していて挑戦者ペースの試合であったことは間違いないと感じました。

青森から出てきてボクシングに打ち込み、プロボクシングの世界で2階級を制覇した畑山隆則はこれを最後に引退します。

畑山隆則。。 ボクサーとしての魂はあの坂本博之との一戦でピークを迎えてしまっていたのでしょう。

引退後彼は中古車販売・飲食業・そして親交のある竹原慎二とのボクシングジムの経営など事業を次々と成功させています。

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