辰吉丈一郎 | ボクシング界のカリスマの伝説と現在 薬師寺との死闘!


辰吉丈一郎 | ボクシング界のカリスマの伝説と現在 薬師寺との死闘!

ボクシング界のカリスマ・辰吉丈一郎! 伝説の辰吉vs薬師寺戦は、瞬間最高視聴率が65%という驚異の数字!
奥さんのるみさん・長男の寿希也さんに、辰吉寿以輝選手と家族の絆も強い!
ボクシング界のカリスマ、辰吉丈一郎についてご紹介!
辰吉丈一郎 戦績:28戦20勝(14KO)7敗1分。

現在30才以上の人ならば辰吉丈一郎ブームを目撃していると思います。

90年代のカリスマボクサーであり、辰吉vs薬師寺戦の他、当時日本記録を樹立した8戦目での世界タイトルマッチ、グレグ・リチャードソン戦やビクトルラバナレス戦、ダニエル・サラゴサ戦にシリモンコン・ナコントン・パークビュー戦。

そして宿敵ウィラポン・ナコンルアンプロモーションとの2度に渡る激闘など数々の名勝負を演じてきました。

目次

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辰吉丈一郎 プロフィール

辰吉丈一郎・通称”浪速のジョー”。

1970年5月15日生まれです.

身長は164cmですが、リーチは178cmと驚異のリーチの長さを誇ります。

ちなみに、普通リーチの長さは身長と同じくらいと言われています。 

アマチュアボクシング戦績:19戦18勝(18KO)1敗。
プロボクシング戦績:28戦20勝(14KO)7敗1分。

幼少時代いじめられていたことから、強い子になるようにと父粂二さんよりボクシングを教わったことが始まりです。

後に3度世界バンタム級タイトルの奪取に成功しています。

ボディーワーク・フットワーク・ハンドスピード、全てにおいて日本ボクシング界歴代屈指のスピードを誇ります。

また、奔放な言動、そして試合後は必ず相手を称えるその姿勢から90年代のボクシング界でカリスマ的な人気を誇っていました。

中学時代は有名な不良。

卒業と同時に担任の先生の勧めで大阪帝拳ジムに入門します。

17歳で全日本社会人選手権優勝し、強打+連打のスピーディーなボクシングで注目を集めていきます。

ソウルオリンピックの有力候補ではありましたけど、体調不良で予選敗退後、ショックでジムを離れます。 

しかし結局は大久保純一が主催するジムで練習をはじめ、大阪帝拳にカムバックします。

その後プロデビュー、アマチュア最終戦績は19戦18勝(18ko)1敗。

この頃から辰吉丈一郎の名前は全国区で知られるようになっていました。

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辰吉丈一郎プロデビュー | デビュー戦は韓国ランカー

1989年9月29日にプロデビュー。

B級ライセンスを取得し、6回戦を行い韓国のランカーを2ラウンドKOで仕留めます。

いきなり韓国人との試合をおこなったのは、辰吉丈一郎の噂はデビュー時には広がっており、日本ランカー全員にオファーを出したけど断られたという背景があります。

1990年6月28日の3戦目にはWBCインターナショナルバンタム級チャンピオンであるサムエル・デュラン(フィリピン)とノンタイトル戦を行い、7ラウンドにKO勝ちをしています。

辰吉丈一郎VS岡部繁 | 日本タイトル獲得最短記録

1990年9月11日、プロデビューからわずか4戦目で日本王座初挑戦。

当時の日本バンタム級チャンピオン岡部繁を4ラウンドKOで降し、わずか4戦目にして日本チャンピオンになります。

この4戦目での日本タイトルの獲得は平仲明信と並ぶ日本最短タイ記録となります(2013年に井上尚弥も並びます)

当時は世界タイトルに挑戦しても失敗が多かったため、「世界挑戦は国内または東洋王座を獲得してから」という暗黙の規定がなされていたので、まずはその最低条件である日本タイトルを獲得します。

試合後のインタビューでは「この試合は通過点」と言い放つところからも、世界チャンピオンへの意識の高さを感じさせます。

1991年2月17日に6戦目を、世界ランカーであるアブラハム・トーレス(ベネズエラ)とノンタイトル10回戦を行いますがその試合で引き分けてしまいます。

トーレスのジャブを最後まで攻略することができず、「辰吉が負けていた」、この試合は「ホームタウンデシジョン・地元判定だ」との声が出るほどの大苦戦をしてしまいます。

トーレスもこの判定には不服でリング上で寝転がり判定に抗議するという珍事まで起こっています。

じつはこの試合の後、7戦目で世界挑戦を辰吉陣営としては予定していたようですが、この試合での苦戦を原因に、もう1試合ノンタイトル戦をはさんでの世界タイトル挑戦となります。

1991年5月19日、1階級下(ジュニアバンタム級=現スーパーフライ級)の世界ランカーであるレイ・パショネス(フィリピン)と対戦します。

この試合はフットワークを使い、アウトボックスで相手を翻弄し、文句なしの10回判定勝ちをします。

これまでの辰吉と違い、そのフットワークとジャブを駆使して相手を寄せつけずないアウトボクシングを評価する声が多かったが、当の本人はKOできなかった悔しさからリング上で涙をながします。

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辰吉丈一郎VSグレグ・リチャードソン | 日本最短8戦目でのWBC世界バンタム級タイトル獲得

そして1991年9月19日、世界初挑戦をします。WBC世界バンタム級チャンピオン、グレグ・リチャードソン(米国)に挑みます。

アマで275戦、プロで33戦のキャリアを誇るベテランチャンピオンを相手に終始優位に試合を進め、10回終了TKO勝ち。

10ラウンドの終了間際の辰吉の猛攻で会場は大盛り上がりになり、レフェリーもゴングを聞き落すというハプニングも起こります。

この8戦目での世界タイトル奪取というのは、具志堅用高(9戦)を抜いての国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取ということになります。

ちなみにこの記録は後に名城信男が同じ8戦目という記録で並び、井岡一翔が7戦目に更新し、さらに井上尚弥が6戦目に更新。

そして現在は田中恒成が5戦に更新し、現在の日本最短記録は5戦目となります。

このタイトル奪取は平成デビューのボクサーとして初の世界タイトル獲得でもあります。

辰吉 左眼に異常 | 網膜裂孔と診断

しかし同年12月に、左眼の異常を訴え、大阪市内の病院で検査。

そして「網膜裂孔」の診断を受け、辰吉はキャリア最高の時に休養を強いられます。

翌1992年2月6日に予定されていた初防衛戦(対李勇勲=韓国)は中止となります。。

今考えると、、辰吉のキャリアの最も大事な時期、最も輝いている時期に病気が発覚してしまったんですね。。

辰吉丈一郎VSビクトルラバナレス | 復帰後に暫定チャンピオンとの統一戦

辰吉丈一郎VSビクトルラバナレス | 復帰後に暫定チャンピオンとの統一戦

1992年9月17日、王座奪取から丸1年後に、辰吉丈一郎は入院・目の手術を経て初防衛戦を行います。

対戦相手は、辰吉選手が長いこと防衛戦を行えなかったことを理由にたてられた、WBC世界バンタム級暫定チャンピオンのビクトル・ラバナレス(メキシコ)。

休養を終えた正規チャンピオンの辰吉丈一郎と暫定チャンピオンであるビクトルラバナレス選手の王座統一戦という形で行われますがが、9回TKOに敗れ王座陥落。

ここでプロ初黒星を喫します。

しかしその後、1戦をはさみ、1993年7月22日、世界再挑戦をします。

3月にビクトル・ラバナレスを降してWBC世界バンタム級王座を獲得した辺丁一(韓国)に挑むことになっていましたが、辺が5月の初防衛戦で左手を骨折してしまい、同級暫定王座決定戦としてラバナレスと再戦します。

12ラウンドにわたる死闘の末、僅差判定勝ちをおさめ、10か月前の敗戦の雪辱を果たすと共に、世界王座返り咲き(暫定王座)に成功します。

辰吉丈一郎 網膜剥離が判明 | 再び引退の危機

ビクトル・ラバナレスとの再戦を制した辰吉は暫定王座を獲得したため、11月15日に正規チャンピオンである辺丁一との統一戦が組まれました。

統一戦に向け練習をしていましたが、再び左目に異常をきたし、検査を受けます。

その結果、今度は網膜剥離が判明します。

網膜剥離はボクサーの職業病のような病気で、失明のおそれもあることから、網膜剥離になった選手は試合は行えないという日本ボクシングコミッションのルールにより引退を勧告されます。

また、保持していた暫定タイトルは返上します。

しかし、手術は成功し、辰吉の目は復活します。
これまで多くのボクサーがこの網膜剥離を原因に引退してきましたが、辰吉は現役続行を訴えます。

しかし、日本ボクシングコミッションが首を縦に振ることはありませんでした。
そこから辰吉は現役続行への道を模索する戦いが始まります。

辰吉 海外のリングに立つ | ハワイでホセフィノ・スアレスとの試合

JBC(日本ボクシングコミッション)が認めてくれないならば海外でやるしかない!

帝拳ジムの本田明彦会長の力で1994年7月2日、日本ボクシングコミッションの管轄外であるハワイで辰吉の復帰戦を行います。

この相手は3か月前には世界タイトルにも挑戦した強豪でしたが、辰吉は見事3ラウンドKOで降し、この勝利で返上していたWBC暫定チャンピオンのタイトルを再び与えられます。

また、対戦相手の質、試合内容なども考慮され、JBCも特別に辰吉の現役続行を許可されます。

そしてあの伝説の一戦へと駒を進めることになります。


辰吉丈一郎VS薬師寺保栄 | 日本中が沸いた正規の一戦!

1994年12月4日。
日本人同士の世界タイトルの統一戦となった辰吉丈一郎VS薬師寺保栄の一戦!!

正規チャンピオンは薬師寺なので、通常は薬師寺VS辰吉戦となるのですが、辰吉丈一郎のあまりの人気に辰吉VS薬師寺戦といわれます。

この試合は行われた背景としては1993年12月2日。
辰吉が網膜剥離でキャンセルした1辺丁一との試合を薬師寺保栄が代理で行い、世界タイトル奪取に成功しており、暫定チャンピオンに返り咲いた辰吉との統一戦として行われました。

この試合はボクシングの枠を超えた大ブームとなり、日本中が注目する一戦となります!

対戦当時の薬師寺・辰吉両選手の戦績

薬師寺保栄 戦績:25戦22勝(16KO)2敗1分
辰吉丈一郎 戦績:12戦10勝(8KO)1敗1分

デビュー前から天才と呼ばれ、わずか8戦目という当時の日本最短記録で世界タイトルを奪取した辰吉丈一郎と、アマチュアではインターハイベスト16という実績はあるものの、プロデビュー直後6戦で3勝2敗1分と平凡な戦績で、期待を懸けられることなくキャリアを積み上げてきた薬師寺。

8戦目で200戦以上のアマチュアキャリアを持つリチャードソンを鮮烈なKOで破り時代の寵児となった辰吉に、タイトルを奪取した試合も、疑惑の判定といわれ、スポーツ新聞などでは「すべての面でチャンピオンが上回っていた」と酷評された薬師寺。

すべての面で対照的な2人のボクサーが行う日本初の日本人同士の王座統一戦です。

また両者イケイケな性格なため、試合前からお互い激しい舌戦をを繰り広げます。

薬師寺が

(当時暫定チャンピオンだった)辰吉くんも当日チャンピオンベルトを巻いてくるがそのベルトには『暫定』と書いてこい」

といえば
辰吉も

世紀の一戦って。相手がアレで?笑わしたらあきまへんで!「主役」と「勘違い」の力の差を見せつけたるわ

と返します。

とういった試合前の盛り上がりもあり、日本中が注目する一戦となります!

この試合は辰吉・薬師寺戦とよばれ瞬間最高視聴率は65%を越え、平均視聴率は関東で39.4%。 辰吉の地元大阪では43.8%。 そして試合の開催地であり薬師寺の地元名古屋では52.2%とという驚異の視聴率が当時の注目度を物語ります。

   

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