ファイティング原田 | ~ボクシング・チャンピオン名鑑~


ファイティング原田 | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

ボクシング界で歴代最強のボクサー議論の中で、常に出てくるファイティング原田。
タイトル承認団体は1つのみで11人しか世界チャンピオンがいない時代に2階級制覇を達成!
あのマイク・タイソンもファイティング原田のビデオを見てボクシングの練習していた話や、黄金のバンタムと言われた47連勝無敗の伝説のボクサー・エデル・ジョフレに勝って初黒星をつけた大金星! 現在はファイティング原田ボクシングジムで後進の指導を行う!
ファイティング原田の伝説をご紹介!
プロボクシング最終戦績:63戦56勝(23KO)7敗

ファイティング原田。
狂った歯車というニックネーム通り、無尽蔵のスタミナと圧倒的な連打・タフネスを兼ね備えた最強のインファイターです。

白井義男に次ぐ日本で2人目の世界チャンピオンで、あのマイクタイソンもファイティング原田のファンで、現在は日本プロボクシング協会終身名誉会長、プロボクシング・世界チャンピオン会の最高顧問をしています。


目次

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ファイティング原田 日本人初・そしてわずか3人しかいないボクシング殿堂入りした唯一の選手

プロボクサーはリングネームという、ボクシング上での名前を自分で考えていいことになっていますが、この「ファイティング」はJBCで欠名扱いで現役選手が名乗る事ができなくなっています。

現在のようにWBA・WBCなど、世界タイトルを承認する団体はわかれていなくて1つのみ。そして階級も現在のように17もなくて、当時は11階級しかありませんでした。 

つまり、現在の67人以上(現在はスーパーチャンピオンや暫定チャンピオンなどチャンピオンにも沢山種類がある)も世界チャンピオンが同時に存在できる時代ではなく、世界チャンピオンは各階級に11人しかいない時代。

その時代に2階級制覇を成し遂げ、あと少しで3階級制覇まで成し遂げるという一歩手前までいきました。

そしてボクシングに多大な功績を残した人をたたえる、世界ボクシング殿堂入りを果たした3人の日本人の中で、唯一の選手です。

ちなみにあと2人は、日本のボクシング評論家で、ボクシングのマッチメーカー兼トレーナー、ボクシング番組解説者もしているジョー小泉氏。

そして、「ボクシング界の天皇」とも呼ばれ、現在の日本プロボクシング界を牛耳っているともいわれてる、帝拳プロモーションの本田明彦会長です。

今回はそんな偉大なファイティング原田についてご紹介していきたいと思います。

ファィティング原田 プロフィール

名前 ファイティング原田 本名 原田政彦

生年月日 1943年4月5日生まれ

出身地 東京都

原田氏は 植木職人の父親が病気がちだったこともあり 中学生の頃から米屋の配達をして家計を支えていました

そんな中で出会ったのがボクシング

原田氏は子供のころ父親に

世の中に出るには「勉強をして学者になる」「金をつかむ」「栄光をつかむ」の3つしかない

と常々言われていたそうです。

そこで勉強は苦手だった原田氏は 「栄光をつかむ」ために ボクシングの世界を選びます。

ファイティング原田氏は中学に通いながらお米屋で働きながら家計を支えていました。
その米屋の配達の時にいつもみえるボクシングにいつからか憧れを感じ始め、自然と入門に至ったそうです。

ファイティング原田は笹崎ジムに入門後 初のスパーリングでの激しいラッシュに会長の笹崎たけしは驚きます。
そこで原田が将来名選手になると確信した笹崎会長は 徹底的に原田氏に英才教育を施します。

プロデビューは1960年2月。

当時16歳という若さでプロデビューすると、そこから負け知らずの25連勝を記録します。
打たれてもとにかく前へ前へでて、連打で相手を追い詰める原田のボクシングは当時の理想のボクシング像と合致し、世間の評価と人気を集めていきます。

その成果もあり、原田氏はデビューから破竹の25連勝を果たします。

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ファイティング原田 海老原博幸・青木勝利と並びフライ級三羽烏と呼ばれる

13戦目の東日本新人王決勝戦では 海老原博幸氏を破り 東日本フライ級新人王に輝きます。

この海老原博之はのちに世界フライ級チャンピオンになる海老原博幸です。

その後、常に減量苦と戦っていた原田氏は1つ上のバンタム級に階級を変えようとするが、バンタム級へのテストマッチとして行ったエドモンド・エスパルサ戦で敗れてしまい、バンタム級には転級せず、フライ級のまま試合を行うことになります。

名チャンピオン矢尾板貞夫

当時矢尾板貞夫という名ボクサーがいました。

あの白井義男からタイトルを奪ったパスカル・ペレスにも10ラウンドのノンタイトル戦で勝利し、のちに名門・三迫ジムを創設する
三迫仁志にも勝利したボクサーです。

生涯戦績:66戦53勝(7KO)11敗2分 という戦績からもわかる通り、KO勝ちは少ないものの、素早いフットワークからのヒット・アンド・アウェイ戦法で日本タイトル、東洋タイトルを獲得し東洋では敵なしと言われた名ボクサーです。

1961年には黄金のバンタム・エデルジョフレとも試合をし、10ラウンドKO負けを喫してしまうものの、ジョフレの地元・ブラジルで試合をしているにもかかわらず、9ラウンドまでポイントリードをしていたそうです。

フライ級で世界1位を維持し、当時のチャンピオンであるポーン・キングピッチへの挑戦が決まっていました。

その引退には色々な説がありますが、表向きには膝の故障というのが理由のようですが、実際は、所属ジムの会長仲たがいとのことです。

会長の中村は選手が自分の言うことを聞かないときや、試合に敗けた時に、選手に殴りかかり、激しく罵倒したりすることがあったということです。

その確執を解消できなかったため引退を決めたそうです。

矢尾板は「選手と会長は対等な契約関係であるべきだ」という持論があり、日本ボクシングコミッションに本当の引退理由を手紙で説明したそうですが、当時のボクシング界ではそういった問題が多く、ボクシング界全体に問題が波及するのを嫌った当時の日本ボクシングコミッションはこの手紙を黙殺したそうです。

矢尾板の突然の引退を発表したため、同じ日本人のホープである原田に声がかかります。

ファイティング原田VSポーン・キングピッチ | チャンス到来!初の世界タイトルマッチ

当時世界ランキング1位で世界フライ級チャンピオンポーンキングピッチに挑戦するはずだった矢尾板の突然の引退で、同じ日本人の有力な選手ということでファイティング原田にその出番が回ってきます。

原田は当時、世界ランキングにも入っていない19歳の少年でした。

しかし、

チャンピオンのポーンが勝てば防衛にはならないが原田が勝てば王座獲得

という変則的な条件で、昭和37年10月にファイティング原田の世界初挑戦の日を迎えます(挑戦時には世界ランキングは10位がつき、正式な世界タイトルマッチと認定されます)。

ファイティング原田 チャンピオン ポーン・キングピッチを破り19歳で王座獲得!!

ファイティング原田の初世界挑戦は蔵前国技館で行われます。
実は彼の当時の日本ランキングは、海老原に次ぐ2位でした。 

順当ならば海老原博之が選ばれるべきであったが、海外では海老原のの力は知れ渡っており、また、原田がバンタム級7位の相手に負けているということもあり、海老原より原田の方をチャンピオンのポーンにとってはやりやすかったということでしょう。

このポーン・キングピッチはタイ人初のボクシング世界チャンピオンに輝いた選手です。
この原田との試合の前まで戦績は27戦24勝3敗の好成績です。

これまで3度の防衛にも成功していました。

試合は、ファイティング原田終始左ジャブとフットワークでポーンをコントロールし、小柄な原田が一回り大きく見えるポーンを追いまくる展開。

11R、相手コーナーに追い詰め、連打!

合計80発以上もの左右連打を浴びせポーンはコーナーロープに腰を落としてそのままカウントアウト!!

この瞬間10年ぶりに白井義男に次いで2人目の世界チャンピオン誕生します!!

試合終了と同時に無数の座布団が舞い、まだ若干19歳の世界チャンピオン誕生に日本中大いに盛り上がりました。

この試合を振り返ってファイティング原田氏は

デビューして3年目 まだ19歳でした。

世界なんて先の話だと思っていたし 勉強のつもりで戦えればいいと思っていたんです。

ところが 来日するポーンに敬意を表して 当時唯一の国際空港だった羽田まで出迎えに行ったときです。

ポーンは まともに僕のことを見ようとしない。調印式 計量のときも 握手してもそっぽを向いているんです。

見下されているのかと思うと どうしても勝ちたいという気持ちになった

と語っています。

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世界タイトル初防衛戦 ファイティング原田VSポーン・キングピッチ

世界チャンピオンを衝撃のKOで破り王座奪取の3ヵ月後。
初防衛戦として今度はタイで再びポーン・キングピッチと戦います。

この再戦でも原田は1ラウンドから相手を追いまわし、ダウンまで奪いますが、カウントもされないような明らかな地元びいきのレフェリング。

結果、いわゆるホームタウンディシジョンで大切なフライ級タイトルを失います。

原田の世界チャンピオンの座はわずか3ヵ月奪われてしまいます。

白井義男も明らかな地元判定にあったといいますが、昔の地元判定は本当にあからさまだったようですね。

ファイティング原田 バンタム級に転級 ロープ際の魔術師・ジョーメデルとの死闘

原田はバンタム級に転向し、すぐに世界タイトルを目指し、当時「無冠の帝王」「ロープ際の魔術師」と呼ばれていた世界ランキング3位のジョーメデルと対戦します。

この試合は5ラウンド目までは原田の持ち味であるマシンガンのようなラッシュが功を奏し、一方的な展開。
しかし、その前進前進の単調な動きを見切ったメデルは6ラウンドから得意のカウンターをヒットされ3度のダウンを奪われKO負けを喫してしまいます。

原田はKO負けを喫したあともすぐに再起し、1964年10月29日、当時の東洋太平洋チャンピオンである、青木勝利に3RKO勝ちし、世界タイトルの挑戦権を得ます。

最強のチャンピオン・黄金のバンタム エデル・ジョフレとの対決

当時のバンタム級のチャンピオンは伝説のチャンピオンが君臨しておりました。 
「黄金のバンタム」の異名を誇る エデル・ジョフレ。

世界タイトル獲得後8度の防衛に成功しており、すべてKO勝ちという離れ業をみせております。

この8度の防衛の中には、青木勝利やファイティング原田を倒したジョーメデルの名前もありました。

このエデル・ジョフレはアマチュア経験も豊富で、アマチュア通算戦績は150戦148勝とわずかに2敗。

準準決勝で敗れてはいるものの、メルボルンオリンピックの代表にも選ばれております。

プロ入り後も無敗のまま世界バンタム級タイトルを獲得しており、前評判を集めれば集めるほど原田の不利が浮き彫りになるようなチャンピオンの戦歴。。

圧倒的な事前予想のなか、1965(昭和40)年5月18日に名古屋・愛知県体育館で行われます。

ちなみにこの時、ジョフレは29歳、原田はまだ22歳でした。

試合開始のゴングの直後から原田は、今までにない賭けに出ます。

ファイティング原田といえば前進前進のインファイトでしたが、この試合に限っては今までのボクシングスタイルを捨て、アウトボクシングで勝負に出ます。

足を使ってジャブをジャブを打ちながらアウトボクシング。。

もちろんそこに至るまでに血のにじむような努力があったとはいえ、これは大博打を打ったと言えます。

そしてこの博打の女神は原田に対して微笑みます。

これまでのファイティング原田の試合の組み立て方を研究・対策していたジョフレは、明らかに戸惑いが見られ、そスマートで完璧なボクシングに狂いが生じます。

そして4R、ジョフレ唯一の弱点である細いアゴを、原田の右アッパーがカチ上げます。

このパンチでロープまで吹っ飛ばされたジョフレに、原田は得意の前進とラッシュをしかけます。

だが、ジョフレも必死でこのラッシュをブロックでしのぎ、次の5Rには、右を打ち抜きダメージを負った原田は自分のコーナーと相手方のコーナーを間違えるほど深刻なダメージを負います。

しかし、常にストイックに自分を追い込んでいた原田は、決して心がおれることなく、次の回から立ち直り、終盤に至ってはダメージから回復し、チャンピオンと一進一退の攻防を繰り広げます。

そして遂に15Rの最終ラウンドのゴングが鳴ります。

この試合は競った内容で、どちらが勝ってもおかしくないほどの試合でしたが、ジャッジペーパーを読み上げると、日本の高田(ジャッジ)が72-70で原田、アメリカのエドソン(ジャッジ)が72-71でジョフレ、そして、アメリカ人バーニー・ロス(レフェリー)が71-69で原田と、2-1の判定で原田は世界バンタム級のタイトルを獲得します。

エデルジョフレは強いだけでなく非常に人格者でもあったということで、試合後僅差で原田にタイトルを奪われたにも関わらず、リング上で笑顔で原田を担ぎ上げたという逸話も残っています。

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ファイティング原田 バンタム級タイトル防衛戦

ファイティング原田 バンタム級タイトル防衛戦

初防衛戦は1965(昭和40)年11月30日、アラン・ラドキン(イギリス)を15回判定で破り、初防衛を果たします。

さらに翌・1966(昭和41)年5月31日には前王者であるエデル・ジョフレを挑戦者に迎えて2度目の防衛戦を行います。

その試合でも、前王者ジョフレを15回判定で下し、2度目の防衛に成功します。

そして翌年、1967(昭和42)年1月3日、3度目の防衛戦で、以前KO負けしたジョー・メデルとの再戦・雪辱のチャンスとなります。

前回はメデルのカウンターで倒された原田は、カウンター対策として、足を使い、メデルがカウンターを打てないようにしてから、攻勢時には、身体を密着させてラッシュするという作戦でカウンターを封じます。

作戦は的中し、最終15ラウンドを迎える時には原田の一方的なポイントリードで迎えることになります。

しかし、最終ラウンドにメデルの左フックのカウンターが遂に命中し、一瞬ふらりとしたが、クリンチで何とか逃げ切り王座を死守することに成功します。

さらに半年後の同年7月4日、ベルナルド・カラバロ(コロンビア)を15回判定で下し、4度目の防衛戦に成功します。

しかし、5度目の防衛戦である、1968(昭和43)年2月27日、当時19歳の若き無名挑戦者、ライオネル・ローズ(オーストラリア)に15回判定負けしついに世界バンタム級タイトルを失います。

この頃、バンタム級に上げた者の、原田は減量に限界を感じ始めたため、さらに階級を上げてフェザー級に転級します。

この辺りで当時は世界チャンピオンは1人でしたけど、世界のボクシング界はボクシング団体がWBCとWBAに分裂し始めていました。

ファイティング原田 幻の3階級制覇

1969(昭和44)年7月28日、WBCフェザー級タイトルに敵地シドニーで挑戦します。

当時の地元判定は厳しいものがあるので、原田はKOでの勝利を目指して、初回から前進を続け、ファメションをKO寸前まで追い込みます。

計3度ダウンのダウンを奪うほどの一方的な状態でしたが、そこでレフェリーがダウンしたファメションを助け起こすという事件が起きます。

結局内容的に原田が終始圧倒していたにも関わらず、15回判定負けという結果に終わります。

この当時の地元判定は現代のそれとはまったく別物のようですね。。

この試合が露骨な地元判定での防衛であることは明らかで、リングサイドで観戦していたかつて防衛戦で戦ったライバルであるライオネル・ローズもそれを認めてます。

当時の地元スポーツ新聞にはリング上で失神しているチャンピオンの写真がデカデカと掲載されていたそうなので、このチャンピオンの防衛戦が地元オーストラリアにとっても決して誇りに思うことができない勝利であったかが伺えます。。。が、結果として、三階級制覇は幻となってしまいます。

問題が大きくなったことでWBCは再戦を要求します。

翌1970(昭和45)年1月6日、今度は挑戦者ファイティング原田の地元である東京の東京体育館で、ファメションは王者の意地と誇りを賭けて再戦します(この試合が日本国内で行われた初のWBCのタイトルマッチとなります)。

この試合では原田はいい所が無いまま14RでKO負けしまいます。

ボクサーってモチベーションでまるで別人のように弱くなってしまうんですよね。。

僕も引退前に信じられないくらい弱くなってしまった「最近まで強かった」選手を沢山見てきました。

モチベーションもそうですが、原田はもともと太りやすい体質だといいます。

10年以上激しく太ったり痩せたりを繰り返し、もしかしたら想像以上に身体が悲鳴を上げていたのかもしれませんね。。

この敗戦から3週間後の、同年1月27日、彼は引退を発表しました。

ファイティン荒田の時代までは今のように沢山の団体が分かれておらず、世界タイトルの統括団体はWBA1つだけ。

階級は8現在のように17階級に分かれておらずわずかに8つ。

つまり、世界チャンピオンというのは8人しかしませんでした。

最後のローズ戦での不可解な地元判定がなければ3階級制覇を成し遂げていたという原田の実績の凄さがわかると思います。

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