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ボクシング界最強の世界チャンピオン達~チャンピオン名鑑~

輪島功一 カエルパンチやよそ見など奇抜な戦略で世界を制す | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

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輪島功一 カエルパンチやよそ見など奇抜な戦略で世界を制す | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

輪島功一。ボクシングをはじめたのは24歳の時。 25歳でプロデビュー。
遅すぎるプロデビューに誰からも注目をしてもらえなかった男が後に3度も世界を制することになります。

しかも日本人には難しいと言われる重量級、ジュニアミドル級(現在のスーパーウェルター級)での獲得です。

その厳しい条件を克服するために輪島は知恵を絞りました。 その代表的なパンチが、はじめの一歩やCHIBIなど、ボクシング漫画でも取り上げられ有名になったカエル飛びです。

輪島功一は並みのチャンピオンではありません。
計3度スーパーウェルター級の世界タイトルを獲得し、さらに6度も防衛に成功したまぎれもない一流のチャンピオンです。

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この2度も世界王座に返り咲く姿をからついたニックネームは"炎の男""根性の男""奇跡の男"。

これらのニックネームはそのまま彼がこれまで歩んできた軌跡の象徴です。

輪島の家は一家離散となり、15で故郷北海道から上京してきます。

まだ若く、慣れない土地でなかなか馴染めず、職業を転々とした後、24歳の時勤め先の会社の近くにあった「三迫ジム」に入門します。

三迫仁志会長は、

年も年だし、勝手にやらせておいたんだ

と話します。

輪島功一デビュー後7連続KO勝ち!!

輪島功一はプロデビューするといきなり7連続KO勝ちを果たします。

迎えた全日本新人王戦は初めての判定勝ちに終わってしまいますが、8戦全勝(7KO)というパーフェクトレコードで注目を集めます。

その後も4連続KO勝利を飾り、12戦12勝(11KO)という驚異の戦績のまま、当時の日本チャンピオンである吉村則保の持つ日本スーパーウェルター級のタイトルに挑みます。

日本チャンピオンをも4ラウンドでKOしてしまい、わずか1年余で日本重量級のホープとなってしまいます。

タイトル奪取の翌月、ノンタイトルとはいえ、世界スーパーライト級チャンピオンであるペドロ・アディグと対戦する機会が訪れます。

しかし、この時点での輪島ではやはり経験の差が出てしまい、この試合は1ラウンド1ラウンドKO敗けを喫してしまいます。

これが輪島のボクシング人生の初の敗北となります。

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1970年に入り、2月5日に京浜川崎ジム所属の米軍兵士、ジョージ・カーターにより10ラウンド判定でタイトルを奪われてしまいますが、その2か月後の4月9日に再びカーターとの再戦に制し、日本スーパーウェルター級タイトルを奪還します。

その後5度日本タイトルを防衛しますけど、そのすべての試合でKO勝ちをおさめています。

さらにそのタイトル防衛の合間にノンタイトル戦もはさみ、そこでは東洋スーパーウェルター級チャンピオンの金沢英雄を2ラウンドKOで破った試合もあり、世界ランキングにも顔を出します。

そして当時の世界スーパーウェルター級チャンピオンであるカルメロ・ボッシへの挑戦へと進んでいきます。

輪島功一世界初挑戦 VSカルメロ・ボッシ

輪島功一はついに世界挑戦のチャンスをつかみます。

しかし、このニュースに対する世間の反応はあまりにも冷たいものでした。

それはやはり輪島のキャリア不足に加え、輪島の体型はスーパーウェルター級のそれとしてはあまりにも不利なものだったからです。

身長も低く、リーチも短い。
当時のカルメロ・ボッシは技巧派と言われるチャンピオンで、その技術に対抗するにはあまりにも体格面での不利を否めませんでした。

しかし、輪島はそういった不利なことも承知の上で、そのマイナス面を克服するために様々な知恵を凝らしての試合を展開します。

そっぽ向きながらパンチを繰り出してみたり、過度なダッキングから飛び上がってパンチを繰り出したり、、これが有名な"カエル飛び"です。

はじめの一歩でも青木勝が使い、知ってる方も多いでしょうね。

そういった奇襲にチャンピオンは戸惑い、自分の力を十分に発揮させることができないまま15ラウンドが終わってしまいます。

判定の結果は2-1の際どい判定ながら輪島の手が上がります。

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パンチを生かすのは頭

輪島は常々口にしているその言葉通りの試合を展開しました。

こうして日本に初の重量級のベルトをもたらします。

タイトル獲得後、こういった奇襲に対する世論の反応は厳しいものがありましたが、輪島はそう言った声にも負けず防衛を繰り返します。

その回数はなんと6度。
しかもそのうち3度はKO勝ちという圧倒的な力を見せつけます。

その頃には輪島はボクシング史に燦然と輝く星となっていました。

7度目の防衛戦にはオスカー・アルバラードを迎えます。

この試合は事前予想としては完全に輪島が有利と言われていましたが、意外にも敗れてしまいます。

敗因はオーバーワークでした。

しかし輪島は決してやられたままで終わる選手ではありません。

7か月後に設定された再戦では体調管理にも成功し、判定で勝利し王座に返り咲きます。

再びタイトルを奪還した輪島の前に立ちはだかったのは強敵柳済斗です。

彼は事前から評価が高く、輪島危うしという声もありました。

しかしそういった評価の高い挑戦者からも輪島は決して逃げることなく挑戦を受け、前評判通りの力を見せた挑戦者の前に輪島は敗れます。

結果は7ラウンドKO敗け。

当時年齢も31歳となり、再起を促すような記事も一切なかったにもかかわらず、炎の男・輪島功一は再び再起します。

再起戦は当然柳へのリベンジです。

ここでも輪島は知恵を振り絞ります。

柳との再戦を数日後に控えた調印式の時、輪島は大きなマスクをつけて現れます。  風邪を引き、体調が悪いとのことです。

その時すでに33歳で、前の試合では7ラウンドKO敗けを喫している強敵との対戦。 ただでさえ勝ち目が薄い試合なのにコンディション作りに失敗している。。

関係者全てが輪島の敗北を予測した瞬間でした。

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しかし試合が始まると柳を前半から圧倒し始めます。

試合は最後まで輪島ペースで進み、最終ラウンドには柳をキャンパスへ沈め15ラウンドKO勝利。

試合後の輪島はリング上で、

皆さん、騙して申し訳ない。 敵を欺くには味方からというからね。実は風邪なんか引いていなかったんだ

これも輪島の考えた頭脳戦だったんです。

これで2回目の返り咲き、3度目の世界タイトル獲得でした。

しかし、翌年2月に行われた初防衛戦では敗れ、またしても無冠となり、その後3度目の返り咲きを狙うもそれは叶わないままグローブを壁につるします。

その後、輪島功一スポーツジムを開き、偉大なチャンピオンは現在、ジムの会長として忙しい日々を送っています。

輪島功一 通算戦績:38戦31勝(25KO)6敗1分。

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