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ガッツ石松 幻の右で世界を制す! | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~

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ガッツ石松 幻の右で世界を制す! | ボクシング界最強のチャンピオン達~チャンピオン名鑑~
元プロボクシングWBCライト級チャンピオン ガッツ石松。
ボクサー生活を引退後もバラエティに出演し、「KO牧場」等数々の名言(迷言)・そしてガッツ石松 伝説を残し手織り、ガッツ石松語録まで出ています。
しかし、ガッツ石松は元ボクシングの世界ライト級チャンピオンで、そのタイトルを5度も防衛しています。
今回はボクサー・ガッツ石松をご紹介します。

目次

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ガッツ石松は、引退後はタレント・俳優として活躍していますが、元ボクシング、WBC世界ライト級チャンピオンです。

しかも並み居る強豪達を迎え5度もタイトルを防衛している名チャンピオンです。

終戦間もない昭和29年生まれのガッツ石松。

戦後で日本のどの家も貧しかったけど、その中でもガッツ石松の家は貧しかったそうです。

まだ小学3年で新聞配達を始め、学校が終わった後は農家の手伝いをしてお金を稼いだそうです。

その貧しさを理由に学校ではいじめにあったそうです。

しかし元来気の強いガッツはその悔しさからケンカに明け暮れ、中学2年になるころにはすでに人生をドロップアウトしかけていました。

中学時代、とある事件で濡れ衣を着せられ、家庭裁判所に呼び出されてしまうということがあったそうです。

その時一緒に来てくれた父親が家裁の事務官に

きっと何かの間違いです。親思いのいい子なんです。許してやってください

と何度も何度も頭を下げる姿を見たとき、自責の念に苛まれたといいます。

本当に貧しかった。食べるということは、まさに生きることそのものだった。我が家にとって食べるということは、他のどんな行為にも勝る重大事だった。余裕のある生活を送った人には絶対この気持ちはわからない。わかるはずがない。心底理解できるのは、敗戦を体験した人たちぐらいだろう

とガッツは後に語っています。

リングネーム、ガッツ石松の由来!?

ガッツ石松さんは実は本名は鈴木有三です。 なぜガッツ石松という全く関係ないリングネームをつけたのかというと・・・。

この世界で金を掴んでやると強い意志をもって17歳でプロデビューします。

デビューから4戦は4勝(3KO)と調子がよかったのですが、その後、4戦は3敗1分。

勝っては負けを繰り返す凡庸なボクサーでした。

通常であれば世界を獲るような選手はデビューの頃から違います。

世界タイトルマッチまでは大抵土つかずのパーフェクトレコードで辿りつくというのがパターンですが、ガッツの場合は4回戦でも3敗しています。

それもそのはず、ハングリーな気持ちでボクシングをスタートしたのはいいけど、この石松はとても根性のない選手だったそうです。

試合で勝てないと思うと、すぐに諦めてしまい、勝てる試合を落とすことがしばしばあったそうです。

走ることが嫌いで、

ランニング行って来ると言ってはジムを出て帰りに水を被ってくる

とガッツさん自身が話していました。

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なので、本名は鈴木有二にも関わらずリングネームを「ガッツ石松」にしたのは、ジムから「ガッツのあるボクサーになってくれるように」との願いを込めてつけられたリングネームなのだそうです。

因みに「石松」の由来は「死んでも直らないほどのおっちょこちょい」という森の石松からだそうです。

その後も勝ったり負けたりを繰り返し、18戦目で全日本新人王を獲得しています。

・・・まったく新人じゃないですね(笑) 今ならあり得ないことです。

ちなみにこれが現在の東日本新人王の出場条件です。

C級ライセンス保持者
エントリー時1戦(2014年までは1勝)以上4勝未満
エントリーは3度まで(2014年までは2度まで)
アマチュア40勝まで(ただし、一般の部において20勝以上及び前年度日本ランカー以上は不可。タイトル獲得は高校生まで可)

昔はこういった規則がしっかりとできあがっていなかったんですね( ^^)

ガッツ石松VSジャガー柿沢 | ガッツ石松の出世試合

この勝っては負けを繰り返していた凡庸なボクサー石松にチャンスが舞い込みます。

噛ませ犬(相手選手に自信をつけさせるための試合)としてあがったリングでしたが、前評判でははるかに不利とされていた名選手ジャガー柿沢を10ラウンド判定で下してしまいます。

この試合をきっかけにガッツ石松のボクシング人生が激しく動き始めることになります。

ガッツ石松VSイスマエル・ラグナ | 絶対不利と言われた世界初挑戦

ガッツ石松が21歳の誕生日を迎えた直後、世界ライト級チャンピオンであるイスマエル・ラグナへの挑戦が決まります。

ただし、条件は決して良いものではありませんでした。

場所は敵地パナマ。

現在もそうですが、昔は特にホームタウンデシジョンが激しく、外国へ行き、タイトルを奪取するということはとても困難です。

ファイティング・原田さんの記事にも書きましたが、ダウンを奪ってもレフェリーが助け起こし、一方的に試合を進めたにも関わらず判定で負けにされてしまったりなど、今では考えられない地元判定が平然と行われていました。

亀田興毅がランダエダ戦の時に激しいバッシングを浴びましたが、あの程度の地元判定ではありません。

世間では「無謀なチャレンジ」と言われました。

石松はすでに25戦のキャリアがありましたが、実は10回戦(試合ラウンド数が10ラウンドの試合)を行った試合はわずか3度しかありませんでした。

当時の世界タイトルマッチは15回戦です。

対するチャンピオンラグナはキャリアも豊富でテクニックも抜群です。

あきらかなミスマッチで勝負にならないという事前予想がされていました。

試合は初回からチャンピオンのジャブを浴び顔面がはれ上がります。

やはり石松には勝ち目がないという雰囲気に包まれます。

しかし打たれながらもひるまず石松は前に出続けます。

5ラウンド目には石松の右が入りチャンピオンをぐらつかせる場面まで見られ、「もしかしたら」という空気になりました。

しかし、やはり地力の違いで石松未知の10ラウンドを越えたあたりからチャンピオンとのスピードの違いに圧倒され、13ラウンド目についに力尽きます。

しかし、石松のタイトル奪取には至りませんでしたが、ここまで石松がチャンピオンに善戦することは誰も予想はできませんでした。

その後も勝ったり負けたりの試合を繰り返し、1972年1月16日、初のタイトルである東洋太平洋ライト級チャンピオンとなります。

その後、1973年9月8日には伝説のチャンピオン・後の4階級制覇を成し遂げた”石の拳”ロベルトデュランの持つタイトルへ敵地パナマで挑戦を果たすが10ラウンドKO敗けとなります。

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ガッツ石松伝説 | ガッツ石松路上で8人のヤクザをKO!?~チャンピオンはいついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない~

この伝説の事件は1972年10月15日の夜の出来事です。

ガッツ石松が、最強のチャンピオン・WBA世界ライト級チャンピオンロベルト・デュランへの挑戦に失敗した1か月後の出来事となります。

弟で秀夫氏が友人と一緒に8人の酔っ払いとトラブルになったそうです。

相手が秀夫氏が乗っている車の前方をふさいだので、秀夫氏が注意したことがきっかけとなったそうです。

当時池袋に住んでいた石松は、「弟が危ない」の知らせに現場に向かい、ケンカを止めに入ります。

しかし、大勢で石松にも迫る酔漢達。

その中には入れ墨が入った者もいたそうです。

仕方なく石松はその酔っ払い2人をKOしたが、そこで、パトカーで駆けつけた警察にケンカ両成敗で逮捕されてしまいます。

しかし、新聞には

8人のダンプ運転手全員を約15分でノックアウト

と出てしまいます。

この事件の知らせを聞いた石松の所属する米倉ジムの米倉会長は、警察に向ったが、警察から「正当防衛」と聞いてホッとしたそうです。

さらに検察側からも情状酌量の余地ありとして、身柄送検には至りませんでした。」

10月20日JBCは、「チャンピオンとして慎重さを欠く点あり」としながらも、この状況を受け入れ、”厳重戒告処分”ということで石松はライセンスはく奪などの最悪な状況を逃れます。

その時の事情聴取で石松は、

チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある

と警察官に言い放ったという記録もあります(笑)

ガッツ石松VSロドルフォ・ゴンザレス | WBC世界ライト級タイトル獲得!!

3度目の挑戦で石松のボクシング人生のピークを迎えます!!

1974年4月11日。 WBC世界ライト級チャンピオンであるロドリフォ・ゴンザレスとの対戦するチャンスをつかみます。

このチャンピオンは本場ロサンゼルスで人気を誇り、KO率は70%を越えるハードパンチャーです。

事前予想ではやはり石松不利の声が多く聞かれました。

しかし、試合が始まると石松は絶好調!!

動きにスピードがあり、チャンピオン得意のパンチも軽くいなし、ポイントを積み重ねます。

軽快に動き回るがスタミナにも不安を感じさせず中盤を過ぎます。

そしてクライマックスは8ラウンド!
石松の左フックがチャンピオンの顎をとらえ、そこから畳み掛けるような連打を放ちダウンを奪います!

この時のチャンピオンのダメージは重く、あきらかに効いている様子。。

石松はこのチャンスを逃すまいと連打連打でチャンピオンを追い詰め、なんとKOで仕留めます!!

まさに快挙!! 歴史的番狂わせで会場は大騒ぎとなります。

そしてそのインタビューで石松は、

見てもらえましたか。あれが幻の右なんです

この言葉が原因でこの「幻の右」が石松のキャッチフレーズとなります。

ガッツ石松 幻の右とは

引退後、石松に原功氏が石松に「幻の右」について尋ねたところこういった答えが返ってきたそうです。

あれはね、アリのワンツーを参考にしたんだよ。左ジャブを打ったら、すぐ(引き手を戻す前)に右を出すんだよね。素早く、こう、パ、パーン!と(打つ)

アリのスピードのあるワンツーを参考にして、石松なりに改良した「つなぎの早い」ワンツーのようですね。

派手なパフォーマンスに人を引き付けるキャラクター。
その後、獲得した伝統のライト級の王座を5度も防衛に成功します。

6度目の防衛はなんと海外での世界タイトルマッチを行っています。

経済的には後進国であるプエルトリコが国を挙げて対戦相手であるエステバン・デ・ヘススを応援します。

破格な試合報酬を引き換えに石松は敵国であるプエルトリコへ飛びます。

試合は当時のヘススは実力があり、石松はスピードに圧倒され、異国の地でタイトルを失います。

その後1977年にはセンサク・ムアンスリンの持つWBCスーパーライト級のタイトルに挑みますが6ラウンドKO敗けに散り、その後日本で新井容日と試合をするも10ラウンド判定で敗れ、3連敗を喫しグローブを壁につるします。

その後タレントに転身したガッツ石松は独特なキャラクターと個性で人気を集め、現在も活躍中です。

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